#3「点と線」


 多忙には慣れている。家を空けるのにもだ。ルポライターなんてのは根無し草でいい。都会がまき散らす毒気と人間たちの欲望をかぎとって忙しく原稿用紙を埋めていく生活だ。ただ犬だけが気がかりではある。こいつだけがこの都会で俺の家族。家を空ける時は知り合いの獣医に預けることにしている。一昨日大阪に出張した日も二日間のステイで預けた。俺の家は代々木上原駅と井の頭通りの中間地点にあり、そこから駅へ向かって2分ほどのところにこの動物病院があるのだ。獣医は飲み屋で知り合った30を少し過ぎたくらいの女だ。世間的な平均値からすれば美人に分類されるだろう。数ヶ月前に俺が飲み屋のカウンターで遅い夕食をとっているときに向こうから話しかけてきた。彼女は大胆なミニスカートで足を組み、カウンターに座って冷酒を飲んでいた。酔っていた。「人間とサルの違い」について過激な自説を押しつけてきたので聞き流していた。翌日、ジャンパーのポケットから出てきた彼女の名刺には「佐々木動物病院 獣医 佐々木やよい」と書いてあった。あの若さで開業しているのには何かしらストーリーがあるのだろうが、詮索しなかったので今でもよくわからない。ただ、俺が買っている犬「スモーク」をいつも格安で預かってくれるのには助かっている。

 午後時間がとれたので犬を引き取りに行くと、「どうしたの?少しやつれたんじゃない?」とやよいが笑いながら話しかけてきた。「仕事が無くて食ってないんだよ」冗談ではぐらかして犬を受け取った。俺は待合室のソファーに座ってタバコをくわえる。が、禁煙の張り紙を見て引っ込めた。やよいもソファーにどかりと座った。しばらく他愛もない雑談をする。彼女も客がいなくて暇をもてあましているのだろう。やや間をおいて彼女は思いだしたように言った。「ねえ、最近香港で起きてる事件、知ってるでしょ?びっくりよねえ・・・」。西日が更に傾き、ブラインド越しに彼女の白衣と髪を茶色く染め抜いた。「ええ!?知らないの?香港の芸能人の男の子や女の子が次々に変死しているのよ。ここ2ヶ月で4人だって。舞台から落ちたり、機械にさわって感電したり。絶対何かの呪いよね。」いかにも女性が好みそうなネタだ。テレビも新聞も見ない俺は全く知らなかった。きっとメディアはここぞとばかり推測を立てて連日、新聞やテレビで怪しい情報を流しているのであろう。「へえ。全然知らなかったよ。マニアックなファンの仕業なんじゃないの?」「ばかねえ。どうしてあなたはそう単純にしかモノを見れないの?」軽い軽蔑のまなざし。「歌手ったって売れまくっているアイドルの子もいれば、ちょっと落ち目のロックグループの子もいたし、男女も混ざってる。彼らの共通のファンなんているわけないじゃない。もっと別の何か・・・・共通点があるのよ。」やよいは宙を仰ぎながら確信に満ちた顔で言った。どうも苦手だ。この手の話は尾ひれがついて伝わってくる。統計学については詳しくないが、それくらいの偶然は起こりうるのではないだろうか。適当にあしらって席を立とうとすると突然彼女が言った。「絶対あれよ。シジャノデンセツよ!」「・・・!」俺は慌てて座り直した。スモークは病院の床に日だまりを見つけると丸くなって眠り始めている。「今、なんて言った?」俺の左手は思わずジャンパーのポケットの中のMDウォークマンに延びた。いつでも録音できるようになっているのだ。まあ、職業病だろう。「あなたのことだから、紫蛇の伝説も知らないんでしょう・・?」うふふと彼女はいたずらっぽく笑った。元々美人だが、笑うと一層チャーミングだ。彼女目当てにここにペットを連れてくる男も多いと聞く。「・・・・頼む教えてくれよ。」もちろん民川の名前は出さない。「あのねえ、今日私お金おろすの忘れちゃったの。ワインバーかなんかでおいしいワインが飲みたいな・・・。」そう言った時、受付の電話がけたたましく鳴った。彼女は組んでいた長い脚をほどくと素早く立ち上がり診療室へ戻っていった。俺は急いで受付の小窓から身を乗り出して、「OK!5時に迎えに来るから。駐車場で!」と電話中のやよいに声をかけた。あごと肩で受話器を挟みながらファイルに目を通していた彼女は俺にウィンクを投げてきた。

 スモークを部屋につれて帰った。コンクリートが剥き出しの殺風景なマンションだ。マンションの外階段を上がる。3階にある6畳一間の狭い空間がこの都会の中で俺の全てだ。狭いながらもベランダがついているので、ここをスモークにあてがっている。オーナーは人の良い老人で、ペットを飼う事を許可するどころか、マンション地下にある駐車場を俺に格安で貸してくれている。金はふんだんにあり、余生をゆったりと過ごしている老人にとって、ルポライターの俺の話はとてつもなくエキサイティングなのだろう。月に一回程度、茶飲み話に老人の部屋を訪れてやる。それだけでえらく好かれてしまったらしい。とにかく部屋にスモークを放すと、衣服を脱ぎ捨て熱いシャワーを浴びた。何だか胸騒ぎがする。厚手の黒いシャツを着て、ジーンズをはく。やはり黒いセーターと車のキーを掴むと大急ぎで階段を下りた。地下の駐車場へ降りて電灯をつける。出口の近くに赤い911がうずくまっている。シャワーを浴びたてなので体が冷え始めていた。イグニッションにキーを差し込み、アクセルをやや踏み込みながら一気にエンジンをかけた。轟音とともに冷え切っていたエンジンが目を覚ます。2分ほど暖気をする間、マルボロに火をつけてさっきの胸騒ぎの意味を考えた。「なんだろう・・・。」脳裏をサングラスの民川がよぎった。

 

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