俳優[松田優作]と
俳優[スティーブ・マックイーン]の接点


 私のFAVORITEな俳優[松田優作]と、世界的に有名なハリウッドスター[スティーブ・マックイーン]。先日マックイーンの伝記映画をみていたら結構優作と近い人間なんじゃないかと気付き、このページを作りました。かなーり前には優作と吉川晃司を比較したページも作りました。併せて御覧ください。


まずは基礎データの比較

比較項目 コメント
本名 松田優作(まつだゆうさく) Terence Steven "Steve" McQueen マックイーンのスティーブというのはスティーブンの愛称だったんですね。
職業 俳優 俳優 優作は俳優の傍ら本格的なブルースシンガーとしてアルバムを出していました。マックイーンは俳優一筋です。
生年月日/星座/血液型 1949.9.21/乙女座/A型 1930.3.24/牡羊座/不明 優作は、出生届が一年遅れたために、戸籍上は1950.9.21.生まれとなっています。なお、優作の血液型は、とあるインタビュー記事にはAB型と出ていましたがこれは本人が知らなかっただけで実はA型だそうです。(龍平君が生まれたときにチェックしたんだって) マックイーンは優作の19年前に生まれています。血液型は調べてみましたが不明です。でもあの感じだとB型じゃないかな・・・。
身長/体重 185cm/70kg 177cm/不明 優作は高身長でスタイルが良かった。一方のマックイーンの177cmというのは公称のようで、実際はそんなに高くなかったかな?という印象ですが。でも筋肉質でがっしりした体つきだったところはお二人とも共通点ですね。上半身裸が似合います。
   


二人のつながりを探せ!

つながり項目 松田優作 スティーブ・マックイーン コメント
複雑な家庭環境つながり 優作の母は夫を戦地で亡くし、その後に知り合った大村という人との間に優作をもうけました。だから優作の2人の兄とは父親が違うことになります。優作が生まれた時には父は行方がわからなくなっており、優作は母かねに育てられました。 マックイーンの父親ウィリアム・テレンス・マックイーンは曲技飛行のスタントパイロット。母ジュリア・アンはアルコール依存症であったとのこと。2人はマックイーンが生後6か月の時に離婚。ジュリアは幼子の面倒を見ることができず、1933年にミズーリ州スレーターの両親(ヴィクターとリリアン)の元にマックイーンを預けた。 お二人とも決して両親の愛情にたっぷり恵まれて育ったわけではなく、それぞれ複雑な生い立ちでした。俳優としてのエッジにはこうした背景が関係していると思います。
テレビドラマーでスターに!つながり 「太陽にほえろ!」 「拳銃無宿」 優作は1973年、24歳の時に人気ドラマ「太陽にほえろ!」のジーパン刑事役でスターの階段を一気に駆け上がった。マックイーンも1958年、28歳の時に「拳銃無宿」で一躍有名スターの仲間入りを果たしたのである。しかし二人とも扱いやすい俳優ではなく、その演技に対する熱い思いから現場では衝突ばかり起こしていた。
  ←左側:「太陽にほえろ!」のジーパン刑事・柴田淳。新米刑事だったが型にはまらず大暴れした。右側:「拳銃無宿(原題:Wanted Dead or Alive)」のバウンティハンター・ジョッシュ・ランダル。賞金首を追う西部劇だった。
永遠のライバルつながり 萩原健一 ポール・ニューマン 優作のブレイクのきっかけとなった「太陽にほえろ!」は実は新人刑事マカロニ(萩原健一)の成長物語でもあった。人気絶頂で萩原は役を降りたいと進言。しかもかっこ悪く殉職したいと言って、立ちションしているところを刺殺される。ショーケンを失った制作陣は慌てて代わりを探し、大型新人として優作に白羽の矢を立てたのである。(ちなみにショーケンの最終回より優作の初回の方が視聴率が高かったらしい)以来、優作は萩原をライバル視し、彼の「傷だらけの天使」に憧れてテレビ「探偵物語」に出演した。その後、優作がハリウッド大作「ブラック・レイン」のオーディションに合格し、萩原は落選し優作の子分の役しか残らなかったことで辞退。優作は初めてショーケンに勝ったと思ったかも知れない。
一方のマックイーンは1956年にポール・ニューマン主演のB級映画「傷だらけの栄光」で一番最初に端役をもらった。以来、マックイーンがスターとして成功してからもポール・ニューマンをライバル視しており、1974年の「タワーリング・インフェルノ」でついに共演。オープニング・クレジットでは画面の左側にマックイーン、右側にニューマンの名が表示された。左側のマックイーンが先に目に入ってくる位置だが、縦位置では若干ポール・ニューマンの方が位置が高く配されいる。W主演の二人に配慮した結果ということらしい。なんとも負けず嫌いのマックイーンらしい。
  ←左側:萩原健一(ショーケン)、右側:ポール・ニューマン。ふたりとも若い!
  ←左側:ショーケンと優作の握手。太陽にほえろのパーティの写真らしい。右側:ポール・ニューマンに肩を抱かれるマックイーン。
アクションスター→人間ドラマ→アクションに戻ってきて・・・つながり 「遊戯シリーズ」「蘇える金狼」→「家族ゲーム」「陽炎座」→「ア・ホーマンス」「ブラック・レイン」 「拳銃無宿」「大脱走」「ブリット」→「パピヨン」「民衆の敵」→「ハンター」 ブレイクのきっかけはお二人ともアクションムービー。しかしアクションスターと言われることを嫌い、文芸大作や人間ドラマへと役を広げました。しかしお二人とも遺作となった作品ではまたアクションに戻ってきてくれました。ファンは嬉しかった!
死亡理由、そして日時・時間つながり 膀胱癌・1989年11月6日18:45 胸膜中皮腫→全身転移・1980年11月7日3:45 優作は膀胱癌であることを隠して遺作である「ブラック・レイン」、テレビドラマ「華麗なる追跡」に出演し11月6日18:45に三鷹の病院で亡くなりました。一方マックイーンは、海兵隊時代にアスベストの除去作業をした際にアスベストを吸い込んだか、あるいは自身の趣味だったレースの際に来ていた耐火レーシングスーツがアスベストが使われていたせいで胸膜中皮腫になったと信じていた。アスベストは耐火性能は優れているがひとつひとつの繊維が針のように尖っており、これが肺に刺さると癌に発展するらしい。しかし不思議なつながりであるのは、二人の命日がたった1日しか違わないことである。しかもマックイーンがメキシコの病院でなくなった時間を日本時間にすると17:45。ぴったり1時間の差だった。
息子が俳優のあとを継ぐつながり 松田龍平・翔太 チャドマックイーン 優作の死後、二人の息子たちはいずれも素晴らしい俳優に成長しました。今や龍平も翔太も主役を張るほどの素晴らしい俳優です。個人的には龍平がどんどん優作に似てきているのが恐ろしいほどです。一方のマックイーンも最初の妻ニール・アダムス(女優)との間にチャドマックイーンをもうけた。チャドは「ベスト・キッド」などに出演する他、父と同じくレーサーとしても活躍。さらにチャドの息子のスティーブン・R・マックイーンも俳優に。また、「20世紀少年」の続編に出演したフレッド・マックイーンは自身がスティーブマックイーンの子供であることを公言している。これが本当だとするとチャドより3歳年上のフレッドはニール・アダムスより前にマックイーンが作っちゃった子供ということになるのか?しかし正直、顔はチャドよりもフレッドの方が父親にそっくりだと思う。
  ←左側:龍平/翔太。右側:マックイーンの息子チャドと孫のスティーブン。
  ←自称マックイーンの息子・フレッド。チャドより似ている!!