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 全くの気まぐれに,優作映画の評を書いてみます。しかもランダムに。ま、感想程度と考えて下さい。


人間の証明

 大量の広告で原作と映画のメディアミックスを成功させた『犬神家の一族』(1976年)から一年。時代の風雲児となった角川春樹は、角川春樹事務所製作第二作として森村誠一原作の『人間の証明』を映画化した。
 ファッションデザイナー八杉恭子(岡田茉莉子)のショーが終わった会場のエレベーターで一人の黒人男性ジョニー・ヘイワード(ジョー山中)が腹部を刺された状態で倒れ死亡する。「ストウハ」という謎の言葉と西条八十の詩集を残し・・・。同日、別な場所で車による轢殺事件が発生。捜査に乗り出した警視庁の棟居(松田優作)とベテラン刑事の横渡(ハナ肇)のコンビは二つの事件にあるつながりを見つけていく…。
 優作は、黒人男性の過去を追って渡米する寡黙な棟寄刑事を好演した。作品の中で優作は常に眉間にしわをよせて捜査をする。テレビと違いアクションは控えめだがしかし「太陽にほえろ!」のジーパン刑事と同様に華麗に走った。特に岩城洸一を追い詰めるシーンではその美しい走りっぷりにうっとりしてしまう。後にプロデューサーの黒澤氏が「世界一美しく走る俳優」と表現したがまさにそのとおりだと思う。優作のほかに鶴田浩二、三船敏郎、ジョージケネディなど豪華キャストが出演しているが、優作は存在感のある演技で見事に主役をこなし、作品を一級のエンターテインメントたらしめている。そういえば撮影中、スケジュール調整でもめた俳優仲間を庇いNYのコーディネータを殴ったりと、オフでも武勇伝を残している。
  また、公開当時、ジョー山中の歌う主題歌と、「母さん、僕のあの帽子どうしたでしょうね」という西条八十の詩の一節が大量にCMでオンエアされ一世を風靡したが、この詩を象徴する美しいラストシーンを撮影するため、スタッフ・キャストは一週間連続で早朝登山したという。優作は監督の佐藤純彌に「脚本には無いが、ラストに母親に対する思いを言いたい」と直談判。佐藤は、当初これを断るが優作の強い主張に、台詞ありと無しの2バージョンの撮影を了承。一瞬の霧の晴れ間をついて撮影されたクライマックスで麦藁帽子が放たれ、岡田茉莉子は投身自殺する。ここで優作はアドリブで「母親って、何なんだ・・・」とつぶやいたという。優作自身、父の無い子として生まれ(2人いる兄たちとも父親は異なる)、母親に対する思いは格別であったはずである。この点、事情により母親と幼少時から別れて暮らしていた角川春樹とシンクロする。結局この優作がこだわった台詞は本編からはカットされ、台詞を言った後の表情だけが生かされた。佐藤は「台詞を言ったあとの優作の顔が素晴らしかったので採用した。優作のアドリブは、あんなあからさまな台詞では白けるだけと思ってカットしたが、あの時は優作の背負った背景を知らなかった」と後に語っている。単なるアクションスターではないことを証明した俳優・松田優作のこだわりの秀作である。


ひとごろし

 ヒーローかヒールか。松田優作にはそのどちらかの役柄が多い中で、本作では「臆病者で腰抜けの侍」という珍しい役柄を演じている。
 犬が苦手で超臆病者の双子六兵衛(松田優作)は、妹(五十嵐淳子)からも、兄がしっかりしていないので嫁にも行き手がないと愚痴られる毎日。そんなある日、六兵衛の奉公する福井藩で、仁藤昂軒(丹波哲郎)を上意討ちするという話がもちあがるが、仁藤は剣の達人であるため誰も手を挙げない。六兵衛は、男をあげるチャンスとばかりに名乗りをあげ、独特の方法で仁藤を追いつめてゆく。
 優作は、犬にびびり、妹になじられながらも「世の中にはこういう役回りの人間も必要なはずだ」とどこか達観し、なんとか目的を果たそうとする貪欲な侍を好演。丹波哲郎の重厚な演技とのコントラストが作品に深みを与えている。前述したように、どうしてもハードボイルドなイメージが強い優作が、臆病者・卑怯者・狂人・優しい兄・道化・男らしさ・可愛さをうまく演じ分けており、「いろんな松田優作」を楽しめる幕の内弁当のような作品である。やや違うが、名作テレビドラマ「探偵物語」(1979年)の、コミカルだが芯は男らしく仲間に優しい探偵・工藤俊作に近いかも知れない。優作ファンがみていて痛快なのは、当初の、汗だくで震えまくりのへたれ侍が、ラストでは誰もが知る松田優作(つまり「蘇える金狼」の朝倉哲也、「遊戯シリーズ」の鳴海昌平)の鋭い眼光、落ち着いた野太い台詞回しに変貌してゆく様だろう。優作はコメディの"間"の取り方を熟知しながらハードボイルドも演じられることから、この作品でも観客を海面すれすれから深海まで一気に連れて行ってくれる。個人的には狂人のふりをする優作の演技がとても笑える。こいつマジでいっちゃってるな!?って思わせる。あとは画面の後ろで細かいギャグをやってる優作。観客は手前の人物を見ているだろうに・・・笑。そういうあたりも優作の良さが発揮されている。
 原作は山本周五郎。『木枯し紋次郎』の大洲斉が監督をつとめている。ちなみにコント55号主演「初笑いびっくり武士道」(1972年、松竹)のリメイク(六兵衛を萩本欽一、仁藤を坂上二郎が演じた)作品である。優作の数少ない時代劇出演作でもある。


陽炎座

 優作が仙人・鈴木清順ワールドにどっぷり浸かって作り上げた作品。ずっと敬遠してきた作品だったが、十三回忌を済んでからついにDVDで観させてもらった。時は大正、優作演じる主人公が二人の女性を巡って翻弄される。ほおずきは女性の魂。行き着くところは、夢のような死後のような不思議な世界。ついにそこで自分を解き放つ。めくるめく清順ワールドは正直言って理解不能だった。ただ、画面から溢れてくる映像美はまるで今自分がそこに立っているかのように観る者を映画に引き込んでいくパワーを持っている。例えば複雑なカット割り、例えば長回しの撮影。
 出演者の演技に関して書くと、原田芳雄、大楠道代の圧倒的な演技力に優作が必死に食い下がっているようにも見える。優作は清順監督の出す禅問答のような演技指導に「?マーク」を浮かべながら格闘したらしい(この辺はコミックス「松田優作物語」に詳しく描写されています。)。しかし段々役になりきってその動きが優雅に、優美になっていくように思えた。この辺が天才・松田優作なんだな。どんな難題でも格闘の末に飲み込んで最後には自分のものにしてしまうのだ。もちろん流血し、傷だらけになってだけどね・・・・。でも「走るシーン」はやっぱり誰がどう観ても「松田優作」だった(笑)。隠しきれない立派な体格だもんね。手足は長いし。それと「声」。あの独特の優作ヴォイスもやっぱり変えられなかったね。そして注目すべきは子役。これが結構怖いくらいにはまっていた。優雅に演舞する子役、夢に見そう・・・・・。
 さて評価ですが、私にはこれは優作の通過点、というか勉強のためのひとつのテキストだったと思っている。優作がその演技の幅を広げていく上でとても意味のあった映画ではあった。しかしながら、この映画のDVDを所有して何度も繰り返し観たいか?というと、そうは思わない。私の感性ではこの映画では「優作はミスキャスト」であったように思う。俳優は役を選ぶべきだ。どんなに努力してもその身体、顔、声、雰囲気、背景、、、そういうものを変えるには限界がある。やはり悲しいかな「一定の幅の中」で「自分が演じきれる役」を演じることではじめてその役が生き生きと実在する。今回のこの映画で優作自身の演技の幅は間違いなく広がったけど、トータル・映画的にみてどうかと言うと、やはりミスキャストだったのではないかと思う。この映画のファンの人には申し訳ないが、勝手な感想を書いてしまいました。
 関係ないがこの映画を観て思った2つのこと。ひとつは、最後のシーンで2人の優作が出てくるが、もう一人の優作が今どこかで実はこっそりと生きていたりしないかな〜なんて、そんなことを考えてしまった。もうひとつは、この映画とたまたま同時に読んでいた司馬遼太郎の「竜馬がゆく」に感化され、三味線を習う決意をしました!(どうなるかわからんけど)


探偵物語(TVドラマ)

 これは映画じゃないけどコメント書いちゃいます。キムタクが真似っこしたりしてすっかり有名になった工藤ちゃんと探偵物語ですが、これは日本のハードボイルド小説の草分けである小鷹信光さんの原作。もう20年近く前のドラマなんですよ。知ってました!?確かに今見るとお札は旧札だし、車も型が古いし(みんなフェンダーミラー)、携帯電話もパソコンも出てこないわ、トルコ風呂という言葉もばんばん。何でこんな作品がずっと愛されるのでしょう?って感じですよね。
 僕は優作に出会ったのが「太陽に〜」のジーパン。だけど、恋をした(!?)のはやっぱり工藤ちゃんだったんです。当時子供だった僕の目にすら「こんなにかっこいい大人がいるのか!?おしゃれで女にもてて人情に厚くて、ふざけてるけど芯は通ってる。」そう思えたんです。それからしばらくの間は「みかけのかっこよさ」にはまる時代がありました。つまり、勧善懲悪のヒーロー像、まさにスーパーマンみたいな無敵の存在にあこがれました。鳴海昌平もそうでしたね。誰でもそういう時期ってあるでしょ?特に男性なら「うおお!」って感じます。でもそこにリアリティはなかったんですよね。絵空事なんです。・・・・そうして「いわゆる大人と言われる年齢」になって、工藤ちゃんを振り返ってみたときに、そこには「格好だけではないかっこよさ」があったんです。なんて言うのかな〜。やっぱり人間て弱いんですよね。強いものにあこがれるけど弱い存在なんだなっていうのがわかってきたんです。もしかしたら「本当のかっこうよさ」というのは、「陰ながら人を思いやれる」とか「人を傷つけないためには必要な嘘もつける」とか、そういうもっと"どろどろしたもの"なんじゃないかなって。結局、人間だって動物だからアナログですよね。すぱっとデジタルに割り切れるもんじゃない。(デジタルにもあこがれますけどね。時々。)黒でも白でもないグレーゾーン、言ってみればそんなにきれいな生き物じゃないんですね。優作はそんなものを工藤俊作を通じて表現したかったんじゃないかな。「肩肘張ってかっこつけるやり方って誰でもやれるだろ。でも本当のやさしさ、本当の強さってわかるか?」って言う優作なりの表現なんでしょうかね。でもそれをストレートに演じちゃうと今度は恥ずかしいことになっちゃう。それで、ユーモアでそれを包み込んだわけです。これは優作が生前言っていたように、日本は風土的にハードボイルドは根付きにくいということも関係しているのでしょう。探偵という職業に対するひとつの固まったイメージが舶来映画の影響でもうありましたもんね。トレンチコートに波止場・・みたいな。だから、逆に既成概念を壊した。・・・・・普段はふざけている。かったるいことは嫌い。女にはもてたい。酒飲んで歌って遊んでいるのが大好き・・・・。でも、街の仲間達は自分の命よりも大切。受けた恩は忘れない。義理と人情に厚い。いざという時は鬼にもなる。これだよね!これがハードボイルドだよね!(あとで気づいたけど、あの"みんなの憧れの工藤ちゃん像"を優作とだぶらせるのは間違いですね。優作本人はああいうタイプの人間ではない。でも、そう誤解してしまうほど一つの人間像を作り上げたんだね)
 そもそもはショーケンの「傷だらけの天使」を見た優作が「あんなおしゃれなドラマをやりたい」ということで企画がスタートした探偵物語でしたが、当初テレビ局側が期待した「形だけのハードボイルド」を優作が見事にぶっ壊してくれて本当によかった。「ふざけすぎだ」など、日テレの上層部からかなりの圧力があったという話も聞きましたが、優作は屈しなかった。番組の中で遊ぶだけ遊んだ(警視庁ナンバーワンショー!)。そして最終回にはまるで映画一本分に相当するようなものすごいエネルギーの演技を見せてくれました。優作の目標は計画通り達成されたのでしょう。高視聴率を叩き出した番組の結果を見て、手のひらを返したように「続編」をせがむ上層部。でも工藤ちゃんは決して帰ってきませんでした。そりゃそうです。だってね、工藤ちゃんは地球上での使命を終えて、表参道を散歩した後に別の次元、別の時空にある「間違ったハードボイルド観」を持った街にそれを正しに行ったんです。(傘の色が場面によって違うのはそのためなんだ!・・・大胆な仮説・・・)そこでまた探偵事務所を運営しているんですよ。新しい仲間達と楽しくね・・・・。


ブラックレイン

 言わずと知れた、ハリウッドに進出した彼の傑作にして残念ながら遺作。彼はこの映画の撮影中、日本のかかりつけの医師に「男が一生に何度も出会えないような仕事だから、絶対やり遂げたい」と語ったほどの意気込みだった。文字通り"命を削って"魂をフィルムに焼き付けたのである。
 物語の前半で彼はイタリアンレストランに颯爽と現れる。刃のように洗練された動き。そしてまるで観客がその場に居合わせたかのように、見ている者の動きを凍りつかせてしまう凄み。優作が今まで蓄積してきた全てをこのために使い果たそうとしているかのようだ。このシーンで彼が演じる佐藤は、偽札の原盤を奪い取るだけでよかった筈だった。しかし日本人ヤクザの一人が言う。「相変わらずヒヨッコだな・・・」 部下に原盤を渡した後、思い出したかのように彼は振り返る。「あぁ?」 ・・・そして目にも止まらぬはやわざでナイフを抜き、ヤクザを血祭りにあげる。僕はここが無茶苦茶に好きだ。ほんっとに怖い。そう思わせるのが彼の演技力ということか。ア・ホーマンスでポール牧に求めたものはこれだったのだろう。
sato この優作が演じた"佐藤"の役は、リドリースコット監督とマイケルダグラスがオーディションで選ぶことになっていた。誰もが憧れるハリウッド映画に出演できるということで、日本人の有名俳優もこぞってこのオーディションを受けたそうだ。(もっとも落ちたときに名前に傷がつくということで敬遠する人もいたらしいが。)その中に、優作がデビュー前からその存在を意識していた萩原健一もいた。結果的に優作が選ばれると、子分の役しか残らなかったためにショーケンは降りた。優作は彼に勝った喜びを隠さなかったと彼の前妻は語っている。そのオーディションの模様を録画したビデオがTVで紹介されていたが、ホテルの一室で彼はマイケルダグラスを相手取り、一歩も引かない入魂の演技を見せている。(既に目が佐藤になっている!)
 優作はすばらしかったが、映画的には「?」もある。特にラスト。ヤクザの会合現場から偽札の原版が無くなったのはニックがかっぱらったからだよな?ニックはそれをラストで松本刑事に空港で返却してガッツポーズを見せるけど、あれは「おいら、盗もうとしたけど松本さんに叱られて改心したから返すよ!えらいでしょ?」という事なのか、「こいつとコネを使ってお前(松本)が大儲けしろや!」って事なのか・・・笑。まぁ前者なんだろうけど、「盗みはチャーリーを汚す行為だ」って怒られたあとに普通また現場から盗むかあ?最悪な刑事やん。そんでそれを返したからってガッツポーズはなかろうに。松本刑事も「あんたには参った・・」ぽい演技だし・・。ぜんぜん意味わからんばい。ぜひリドリーの解説を望む!
 なんだか映画の内幕紹介みたいになってしまった。でもこの映画でのインパクトは大きかった。主役の筈の健さんも完全に優作に喰われていた。ハリウッドの映画製作者は、彗星のごとく現れたこの悪役に、たまらずラブコールを送ったという。全く惜しいことをしたもんだ。優作が心酔する俳優ロバート・デ・ニーロとの共演の話もあったというのに・・・。
 私はこの映画を映画館で2回みた。一回目はまだ彼が存命中に。「やった!これで優作を世界が見てくれる!」そう思っていたのに。二回目は訃報を聞いた後に。ラストの格闘シーンでは涙が流れた。自分の命を縮めることを知っていながら、この男は必死で戦っている・・・。
 しかし、やっぱり映画俳優は素晴らしいですね。仕事の結果が永遠に語り継がれてゆくのだから。(しかし、彼がそこまでして作った映画がレンタルビデオ店の棚に無造作に,簡単に並べられていることが、なんとなく悲しい。まぁしょうがないけど。) この映画は是非見て下さい。(ほんとは映画館で,と言いたい)


Fu_sanア・ホーマンス

 優作の唯一の監督作「ア・ホーマンス」。小池要之助監督の演出が気に入らず,自らメガホンを取るほど入れ込んでいた優作。日本では映画に巨額の資金をつぎ込むことはできない。しかし、だからと言って諦めたくない。例えばSF映画のように本来お金がかかるものを,「金をかけないでSFの雰囲気がでるように作れないか」というのが優作の思考だった。くわえてもうひとつ。大事なキーワードが「魂をカメラでとれないか」ということだった。「ニュアンス」という言葉を大切にした優作ならではの壮大な実験がスタートしたのだ。興行成績が映画の価値を決めるなら、この映画は無価値であった。しかし、何かを模索している優作のいらだちや,熱い思いは充分伝わってきた。事実,私はこの映画が好きなのである。
 彼は映画の中に思いを入れ込んだ。ポール牧が作ってきた「べらんめぇ調」のヤクザの演技にはNGをだしたそうだ。そして個室に彼を連れ込み、いきなり机をひっくり返したり、壁を殴ったりした。そして「ポールさん。本当の怖さはこういう、何をしでかすか分からない所にあるんですよ・・。」と語ったという。「セリフなんか聞き取れなくてもいい。」と片桐竜二には、およそヤクザには似合わないカン高い声をしゃべらせ、松葉杖をつかせた。徹底したリアリズムと、パターンへの反抗。また、優作扮する風さんが警察に取り調べを受けているシーンでは、一切の「音」がない。窓の外から取調室を撮っているのだが、風にさざめく枝と舞い散る木の葉が写り込んでくるが,その音すら入っていない。このように実験的要素が随所に盛り込まれているのだ。(その分ストーリーが犠牲になっているのを感じるけどね)
fu_san2 僕は基本的に優作には"監督はやって欲しくない"と考えていた。海外では有名になった俳優が監督業にもじゃんじゃん進出しているが、悲しいかな単なる金儲け主義か、名誉(賞など)が欲しいのか、自分の趣味の押しつけに見えてしまうからである。もちろんメル・ギブソン(「ブレイブハート」でアカデミー作品賞を受賞)のようにそれで才能を発揮する人もいる。でも,優作には一俳優でいて欲しかった。勝手な想像だが、彼自身もそれを望んでいたのではないだろうか? しかし,当時の日本映画界の状況を見るに見かねて,「ひとつの方向」を示そうと,傷だらけになるのを承知で乗り出したのではないか? 真相はよくわかりません。でも結果として,彼の経験は俳優・松田優作に活かされることになったと思う。実際にはこの映画は酷評され、優作は「伊丹の真似をするなんて!」とまで言われたそうだ。だけど・・・・・・・・・・。「金がかけられなくたって、こういう方法だってあるじゃないか!どうして努力しないで諦めるんだ!何もしないで安全なところにいるよりは,もがいて失敗して笑われる方がいいだろう!」・・・・・・・優作がそう言っているような気がする作品です。


これから、少しずつ増やしていきます。ご期待下さい。

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