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死んで落ち込むってやだね Update:2008.3.21.

 尊敬する大事な人が亡くなってしまった。当たり前だけど死は嫌だ。ニュースで子供が殺された話とか見ると全然知らない子でも嫌な気分になる。同世代の岡田有希子が死んだときもなんともいえない嫌な気分だった。まして知り合いでは。大切な後輩を病気で亡くしたこともあるし、知り合いの経営者や、親戚が亡くなってしまうこともあった。数百倍どんよりだ。

 亡くなったのは前の会社を創業したおじいさん。僕を採用してくれた人だ。小さくてしわくちゃでほんとヨーダみたいな人だった。ヨーダはフォースを使えるが、このじいさんも超能力者だった。銀行勤めが嫌で自分で会社を興した。人のため、社会のためになるよう、経営コンサルティングの会社を作ったのだ。それも流行りの外国のフィロソフィーを持ち込んだのではなく、純粋に日本の企業のためにゼロから手作りした。最初は失敗の連続だったそうだ。しかし徐々にファンを作り、今では日本有数のコンサルティング会社にまで成長した。当時社長だったヨーダは、相談にくる中小企業の経営者に経営の原点を話したそうだ。原点とは人を大切にすることだ。欠点に目くじらを立てず、長所を伸ばす。一番困っている人から目を離さない、つまりひとりをおろそかにしない。目立つ改善案や手法が多いがそういうものは長続きしない。結局は人の集まりである会社は人の活力を取り戻すことで復活する。経営者は人目をはばからず涙を流したそうだ。 そんなヨーダに採用された自分は、成績もよくないし鋭さもないぼんやりした人間だった。当然会社でも失敗ばかりしていたから優秀な先輩たちに怒られまくっていた。そんな時、ヨーダは自分の席のとなりにふわりと座った。そして一言、僕が一生忘れられない言葉を言った。

「つくづく思います。大切なのは知識ではなく知恵ですね。」

 頭をがつんとやられた気がした。「自分はだめだ」とふさぎ込むのは逃げることだと思った。逃げることはたやすいし、楽だ。ヨーダの言葉は「お前はそりゃ成績はよくないかも知れないけど、お前にしかない武器があるんだからそれで頑張れはいいじゃないか」と聞こえた。それから会社が楽しくなった。気苦労は相変わらずだったけど、前向きに明るく一生懸命になれた。

 それからヨーダにはよく手紙を書いた。子供が生まれた時にも嬉しくてヨーダに手紙を書いた。自分のやりたいことが見つかって会社を離れる時もヨーダに手紙した。ヨーダはいつも暖かく優しい手書きの手紙をくれた。たぶんにこにこしながら書いてくれたんだと思う。

 生きている限り人の死と出会うのは必然だが、嫌なものは嫌だ。明日はお通夜に行くけど、遺影に向かってなんて言ったらいいんだろう。僕は元気で生きています。いろいろお世話になりました。僕の体は両親が作ったけど、心のある部分はヨーダさんが作ってくれました。ありがとうございます。ヨーダさんの志を継いで日本のために頑張ります。パダワンより。


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