■吉川晃司TOPIX & 更新情報(過去LOG-2011) |
「文藝春秋」という雑誌に「尾崎豊の遺書全文」という記事があった。自分では購入する気のない本だったが、たまたま知り合いに頂いたのでざっと読んでみた。本来ここに書くべきことではないのかも知れないけど僕自身尾崎のことを大切に思うファンだ。彼の残した作品で耳を塞ぎ、以降の情報から自分を隔離することもできたが、どうしてあんなにファンや家族を大切にした男が天に召されてしまったのか「真実」を知りたかった。少なくともこの記事は綿密な取材に基づき第三者の意見も多く取り入れており「真実ではないかも知れないが事実に近い」と感じられた。読後のなんとも言いがたい感情を忘れたくないのでここに記しておきたい。興味ない方、不快感を覚えた方は是非とばしてください。 雑誌は「文藝春秋2011年12月号」である。この中の目玉記事ということで実に21ページを割いて尾崎豊の死の真相を紐解いている。今から20年前、1992年4月25日に我々は震撼したのを今でも覚えている。天才ロッカーにして若者の教祖とかつがれていた尾崎豊が突然逝ってしまったのだ。当初、とても信じられなかった。その一方で、全コンサート、全アルバムに全身全霊を込めてその生を叩きこんでいた尾崎ならあるいは・・・突然我々の前から消えてしまうことも・・・?・・・と、不思議と納得できたのも事実である。 問題はその後だ。その死について様々な憶測が流れたのである。曰く、夫婦関係の悪化がもつれ、覚せい剤を飲まされ暴行されたという他殺説・・・。しかも絶対に流出するはずのない死体検案書なるものや直後の写真までが世の中にばら撒かれたのである・・。どうなってんだよ・・・。マスコミのどす黒い欲望は断片的な情報を繋ぎあわせ、小さく「推測です」と書かれた「真実」を作り上げ連日放送した。結果、彼の肉親、さらには奥様までもが標的となってしまった。心ない嫌がらせも多数あったという・・。 そしてこの記事だ。これによると尾崎は妻と子にあてて2通の遺書を書いていたらしい。しかし奥様は幼い息子が父の死を理解する年齢になるまで待ってもらいたい事、ファンの後追い自殺を防ぎたかった事、他殺説が跋扈する渦中に、彼が愛をこめて書いた文章を晒したくなかった事、、、などを理由に公開させなかった。自分がいわれのない罪で叩かれているまさにその最中にそこまで考えるとは・・。奥様の筋の通った意思の強さを感じる。そして昨年、事件から20年近く経過し尾崎の聖地「尾崎ハウス」は10月に取り壊しとなり、尾崎の息子・裕哉は21歳になった。尾崎が旅立って一定の時間が経過したことで家族にとってもファンにとっても転機が訪れた(ようだ)。当時から奥様と親交のあった記者が、奥様の許諾を得てついに遺書の全文公開に踏み切ったという。そして「結論から言うと尾崎は自殺した」という。確かに「遺書」とされる文面を読むと「先立つ不幸(不孝)をお許し下さい」からはじまり「さようなら 私は夢見ます」で結ばれている。 「自殺」と断定するにはいくつか理由があるようだ。まず警察も、当初は事件性を疑い捜査に動いたが当日の衣服等から一切他者の指紋が出なかったこと、死体検案書を作成した医師が全身にある擦過傷は明らかに自ら転んだ傷で事件性はないと断定したこと、他殺説の証拠とされたくも膜下出血も天頂部であり致命傷ではなかったこと、尾崎の胃壁は赤く充血しており酒や覚せい剤を摂取する以前にいつ何がおきてもおかしくないほど異常な状態だったこと。実際、最晩年は食事をしてもすぐもどしてばかりいた。そしてどうやら本人も自らの命が長くないことを知っていた・・・ようです。 以下は完璧に自分の「憶測と感想と、やりきれないもやもや」です。 尾崎は芸術家だった。一般の人が感じないほどの微細な心の動きを感じとって表現することが彼の仕事となっていた。しかし繊細すぎる感受性をもつことで時に人を疑い、ぶつかり、傷つけ、争いごとが起こった。尾崎についていけなくなったために彼の元を離れたスタッフもいたという。もがき苦しんだ果てに薬や酒に逃げたこともあった。精神と肉体はつながっている。やがて彼の精神状態は肉体に異変をもたらした。そして最後に救いを求めた道が・・・・・。「でも・・」である。そういう破滅的な生き方しか出来なかった彼にとって、ずっと寄り添ってくれた妻と無垢で生まれてきた新しい命はかけがえのない存在だったはずだ。なぜ彼らのためにも「必死で生きよう」としてくれなかったのだろうか。一般的な常識しか持ち得ない自分には天才の考えは理解できない。「でも・・・しかし・・・」今の自分の感情がうまく表現できない。「勿体無い」「悲しい」「少し理解できる」「恨めしい」「悔しい」「もしも・・」。なんとも整理がつかない。「歴史にifは無い」という常套句でしめくくりたくはないが、他に選択肢は無かったのだろうか。彼が残した素晴らしい作品は決して色褪せることなくこれからも誰かの心を癒すでしょう。それだけに強く「if」を願ってしまう。
なんと。御大の公式iPhoneアプリがあるとな!ちょうどケータイをiPhone4sに変えたので早速ダウンロードしてみた。どうせなら音楽とか映像とかちょこっと見せてくれたらもっとテンション上がったのになあ。 http://itunes.apple.com/jp/app/id451430441?mt=8
ライブが終わって呆けていたら早2ヶ月が経とうとしている。気がつけば9月も終わりあれだけ蒸し暑かった気温は南の方へ身を隠してしまった。今日なんて涼しいを通り越して寒かったぞ!?そんなこんなで家に宅配物。おお!忘れたころに届いたCOMPLEXグッズ!思えばライブ終了後、居酒屋で興奮にまみれながらケータイで注文したのだった。購入したのはタオルとTシャツ。TシャツはCOMPLEXの全曲名がバックプリントされたもの。タオルはおなじみのハートにピースのCOMPLEXマーク。もはや両方ともに今年は必要ない季節になってしまったが、これも復興支援!ありがたく購入させていただきました。 たまたま私の親しい知り合いに東日本大震災でご不幸にあった方がいらっしゃらなかった。しかしたった今でも不自由な暮らしを強いられている方々が確実にいる。復興は10年単位だという。今自分に出来ることは募金くらいしか思いつかない。かみさんと相談して無理ない範囲で募金もさせていただいた。しかし実際に軽トラを運転して現地で働いた御大は本当にすごい。自営業とはいえ仕事はどうすんの。えらすぎる。TVでドキュメンタリーをみたが、顔が一段と良くなっていたと思いませんか。単に険しいのではなく、生物として確実に美しい進化を遂げているように思った。これからの吉川晃司はこれまでの成長曲線上にきっとない。新しい方向で確実に僕らを裏切り続けてくれると確信した。
無理は承知で今思う。またCOMPLEXが見たい。あれだけのパワーを日本に撒き散らすことができるバンドは他にあるだろうか。何度も復活のチャンスがあったのにビートルズはついに復活しなかった。それはそれで伝説だけど、過ぎ去った栄光なんてまるで関係なく新たな勇気ある一歩を踏み出すのってもっとカッコよくないか。とりあえず年末に会社のメンバーとライブをやって「Be My Baby」を歌おうと思うぞ。拳をふりあげて今年も来年も10年先までがんばろう!!
30日の初日に参戦してきた。東京ドームは本当に久しぶり。考えてみたらここでCOMPLEXのラストライブもみたし、BOOWYの解散ライブ「LAST GIGS」もみたし、。奇しくも追いかけた偶像の終焉の場所となっている思い出の地だ。
まずは16時に待ち合わせた友人たちとHUBでビールを飲む。店の音楽はすべて布袋になっている。粋な演出だ。どこの店もこんな感じなんだろうか。やがて開演1時間前、ゆるゆるとドームに進むがとにかく人がすごい。グッズ売り場は長蛇の列で近寄ることすらできず。25番ゲートから入場しアリーナの自分たちの席を見つける。今回はアリーナ中央のPAの真横D8ブロック。いい位置だ。
会場はものすごい数の人間が今や遅しと二人の登場を待ち受ける。二階席では何度もウェーブが巻き起こる。やがて暗転。スクリーンには芝浦インクスティックでのデビューライブやドームでの解散ライブの模様がコラージュされて流れる。やがて大音響で「Be My Baby」のイントロが!!とたんに鳥肌が立つ。ああ、21年前のあの男たちは伝説じゃなく実在していたんだ・・・。実は友人と賭けをしていた。一曲目は何かと。俺は初心に帰って一作目の一曲目「Pretty Doll」ではないかと思った。しかしいきなりの「Be My Baby」だ。音楽史上に残るであろう名曲のイントロが体中の血をたぎらせる。
そして大きなどよめきが起きる。右手袖からは吉川晃司、左手からは布袋寅泰が現れたのだ。二人の登場は自分を20年前に戻した。巨大スクリーンはそれぞれの顔をアップで捉えるが、お互いものすごい緊張感だ。やがて中央で出会い、立ち止まる二人。表情は厳しいまま。さてどうなるんだろう・・とハラハラと見守るオーディエンス。と、布袋から右手を差し出すじゃないか!それに応え右手を差し出す吉川。がっちりと握手!ああ!、、これ。このシーンを見たかったんだ。もうだめだ、耐えられない。涙があふれてきた。いろんな事があった21年だった。しかしそんな時間をまるで一瞬で飛び越えるかのように二人はただ見つめ合い手を握り合う。日本という国が未曽有の危機にさらされている時、やっぱりヒーローたちは我々の前に降臨するのだ。「Be My Baby」のイントロがひときわ大きくなる。ドラムが重なり、布袋のギターが唸りを上げる。そして吉川のボーカルが重なってついにコンプレックスは「完成」した。夢中でこぶしを振り上げるオーディエンス。興奮が最高潮に達して、なんと吉川のシンバルキックで一曲目終了。
暗転後、吉川の第一声は「こんばんは! COMPLEXです」だった。シンプルだけどこの言葉にも泣きそうになったファンは多いはずだ。「今日は東日本大震災被災地復興支援に賛同し、集まっていただき、どうもありがとうございます。『日本一心』と掲げた旗のもと、今俺たちは同じ志を持つ同士になりました。同士諸君、ともに今夜は大いに歌って踊ろうぜ!よろしく頼むぜ!」・・・・そして、そこからはもう夢のような時間だけが過ぎて行った。「Pretty Doll」「CrashComplexion」「No More Lies」・・・。なんだこの人たちは・・。彼らにとって21年間というのは「老い」という時間の積み重ねではなく、人生に深く、濃く「彩り」をもたらせたのだ。あの当時、コンプレックスはクールだ、かっこいいと単純におもっていた俺だが、今確実に言える。「今の奴らはあの頃より桁違いにかっこいい」。布袋のギターはメロディを正確に刻むだけでなくセクシーさや憂いもまとっていた。吉川のボーカルも深みを増し、ひとつひとつの歌詞に思いがこもっているのがわかる。そして気になったのは吉川の表情だ。モニターに映る吉川の表情は常に厳しい。いつもなら少々の悪ふざけやくだけたトークがあるのが吉川だが、今回は表情は暗く、真剣なのだ。これは想像だが今回の大地震の惨状を目の当たりにしている吉川は、生半可な気持ちではなくこのプロジェクトに臨んだはずだ。ともすれば泣きそうにも見える吉川は、布袋がつむぐ一つひとつの曲を丁寧に装飾し、我々の心にまっすぐに届けてくれた。
「DRAGON CRIME」あたりで気づいた。今回のセットリストは21年前の解散ライブと全く同じなのだ。二人で話し合った結果、ギミックなし、演出も控えめにしてただシンプルにメッセージを奏でようということなのか。「俺が歌う、俺が弾く」。ただそれだけのこと。それでいいじゃないか。
ほとんどMCはない。ただ曲というメッセージを剛速球でガンガン投げつけてくる二人。モニター越しに二人の微妙な緊張関係がビリビリと伝わる。しかし、吉川と布袋でギターの掛け合いがあり、見詰め合いながら演奏する場面や、吉川のそばに寄り添いギターを奏でる布袋に自分のマイクを差し出し、歌わせる吉川。本当に鳥肌がたち涙があふれた。こんなにうれしいことってなかなかない。
ドームは「恋をとめないで」で熱狂の渦と化す。そしてアンコール前最後の曲「MAJESTIC BABY」がトドメとなり一旦終了。ここで吉川はシンバルキックをミス。ビリビリとした緊張感のせいか若干疲れているようにも見える。ここで暗転。アンコールの呼びかけに現れた二人はコンプレックスのTシャツ姿に。耳をつんざくようなキーボードのメロディが「1990」の戦闘開始を告げる。離れていた時間、お互いがどんな時間を過ごしていたかは知らないだろう。時折顔を合わせても、ともにすごした「あの時の自分」が邪魔をして、それ以上相手に入り込むことはしなかったろう。しかし吉川は歌う。「ほどけた靴ひもを結んで。振り向かずに歩いて行こう・・・」本来の歌詞では「歩いて行く」となっているが吉川は「行こう」と歌った。つまり「一人で行く」のではなく、「一緒に行こうぜ」と歌ったのだ。ここには吉川の熱いメッセージがあるように思えた。ピアノの美しいエンディングに吉川が「ララララ・・・」とボーカルを重ねる。布袋も歌う。会場が一体となって歌い、美しい曲が終わった。
二回目のアンコール「After the Rain」。もともと89年〜90年にかけての東西ドイツ統一や中国・天安門事件など政治的に大きな変革のあった時代に作られた曲だ。しかしポリティカルなメッセージが込められているはずのこの曲が、怖いくらいに2011年の日本にぴったりとあてはまった。「手を差し伸べる仲間も力尽き果て/行き場のない悲しみがつのる/街中をそのほほを流れる涙を/無駄にしないで諦めないで」。吉川の表情が一層濃いものになっていく・・・。そしてネガティブな描写が続いたこの曲が、ここから一転して人々の心に火を灯す応援歌に変わっていく。「吹き荒れる時の嵐 追い風に纏って/奇跡を起こすのさ 残された勇気で」。本当に今の日本のために作ったような曲じゃないか。布袋のギターも吉川のボーカルも、最後まで真剣にメッセージを送り続けた。被災地にこの曲が届くわけじゃないだろうが、今この場所にいる5万人のハートは確実に勇気づけられ、それが家族や友人に伝わり、そしてそれが日本全土の力を呼び起こすのじゃないか。奇跡を起こそう。残された勇気で!きっとそうだ。
夢のような時が終わり放心状態で会場を後にした。水道橋の街にはそこかしこにコンプレックスファンがあふれていた。カーステレオから大音響で音楽を流しているやつもいれば、大声で歌っているやつもいる。みんなうれしいんだ。我々が4人で入った二階座敷の居酒屋にも多数のグループがコンプレックスのタオルを巻いたりTシャツを着て、興奮冷めやらぬといった感じでライブの感想を言い合っていた。冷たいビールで乾杯し、体に水分を補給した。ありがとう、吉川さん、布袋さん。ライブの料金が寄付金になった上に、こんな高揚感までいただいて自分は幸せ者です。思わずiphoneでTシャツ購入。これもご恩返し。。冗談ぬきでここ数年間で最高のライブだったと思った。おつかされまでした。
<Set List>
「KEEP ON SINGIN'!!!!!〜日本一心〜」 2011.9.21.on sale
「COMPLEX 20110730 TOKYO DOME LIVE DVD」 2011.11.21.on sale
<ニュース記事>
■デイリースポーツオンライン「吉川&布袋のCOMPLEX復活ライブ」
■オリコンスタイル「21年ぶり始動のCOMPLEX、復興ライブにファン約10万人熱狂」
またまたずいぶん空いちゃったな。しかし今年は本当に御大には驚かされてばかり。被災地支援をこっそりやってるかと思えばCOMPLEXの電撃復活。そして6月1日には婚姻届を提出。既にお子様もおありだとか。
その変化をポジティブにとらえることが出来る場合とそうでない場合があるけど、それは若さにも関係すると思う。齢とってからの結婚はたぶんお互いいろんな経験を積んでいる分、ポジティブになれるんじゃないかな。だから御大がこの2つを経験したことは作品にも大きく影響していると思います。きっとね。それにさ、単純にキッカワジュニアって楽しみじゃない?尾崎ジュニアだって笑顔とか声とかそっくりで「僕が尾崎の一番のファンです」って言い切っちゃうあたりが逆にさわやかで俺は好きだ。キッカワジュニアはきっと生意気ですよ。孫悟空と孫悟飯みたいにいいライバルになるなじゃねえか!?デビュー当時のとんがった御大がもう一回みれるんだから楽しみだ。長生きはするもんだ。どうせなら大量に子供たちを生産してもらって、キッカワファミリーで紅白出るとか。あ・・・みんなギターに火つけたりしそうだからやばいか・・・。
とにかくおめでたいことです。これからの活動、ますます期待しちゃう。御大、おめれとー!
正直、驚いた。昨年あたりからちょいちょい噂だけはあったけど、まさかあの伝説のコンプレックスが復活するとは!ヒムロックがBOOWYの曲を歌ったりしているが、日本全国が不安の真っただ中にいるこの今やっぱりヒーロー達は降臨するのだ。地震とか原発とか不況とか電力とか政治とか事件とか残業とか・・・・ぜーんぶまとめてやっつけてくれる!そしてもう一度強くてクリアな心を取り戻させてくれるヒーロー!やっぱり御大は本物の仮面ライダーなんだよ。心底うれしい。
早速ローソンチケットで申し込んでみました。当たるといいなあ。みんなと一緒に笑顔になれるといいな。
<KOJI KIKKAWA x TOMOYASU HOTEIコンプレックス、再び。>
吉川晃司オフィシャルサイト: http://www.kikkawa.com/
年末にUSTREAMのキッカワベスト盤制作生番組に2度ほど出演させていただきましたが、あの時はまだ発売も決定していなかったんですよ。それがアルバムがついに実現する運びとなりました!ワーパチパチ!いやいや良かったですねー、ユニバーサルさん!自分も出演後に何曲か投票したのですが、是非いれて欲しかったのは「真夜中のストレンジャー」ですね。未だ、SMS版のシングル以外はタイムスリップグリコの特別版か、ライブ版しかCD化されてなかった名曲です。御大のデビュー映画「すかんぴんウォーク」のエンディングで効果的に使われた、ファンの中では涙ものの曲なんですよ。そしてその悲願は達成されてめでたく選ばれましたね。良かった!
ほんと言うとね、これを期に数曲でいいからリテイクして欲しかったんですよ。「真夜中のストレンジャー」もリテイクして欲しかったし、例えば「すべてはこの夜に」を沢田研二さんと佐野元春さん(元々は元春が沢田さんのために作った。ちなみに松田優作も歌っていた。)と一緒に歌うとか!「MARILYNE」をライブ用にアレンジしたバージョンでリテイクするとか!ボウイの「1994レベルオブコンプレックス」(ボウイの曲にコーラスでキッカワが参加)を歌い、ヒムロックがコーラスで歌うとか!「モニカ」をNOBODYバージョン(英語)で歌うとか!・・・まぁどれも実現は難しいですわな。でも聞きたかった。
そんで、今回のベスト盤。なんと私ことMasterの名前もスペシャルサンクス?でクレジットしてくれたという噂が・・。まじですか!ついに御大のアルバムにクレジットされる所まできたか!?いや、あくまで噂ですから(笑。
間もなく発売!とにかく楽しみですね。特に初回限定版はDVD付きですぜ!
予告編はこちら!
今年一回目の更新です。遅くなってごめん!そんで更新のネタは、昨年の松田優作さんの命日に下北沢のバーで急遽決定した広島「不在証明」の件です。業務の隙間を縫って瞬殺で休暇を取ったので問題なく行くことが出来ました。遅くなったけどその話ね。
日曜の昼、羽田から飛び立ったANAの機体は広島空港へ着陸。空路で広島に入るのは初めてである。空港ロビーでしばらく時間をつぶし、大木プロデューサーや丸山昇一さん(脚本家)ほかJAL組と合流。用意されたワンボックスへ。市内へ向かう40分の車の中で丸山さんが優作さんと"時間感覚"にまつわる話をしてくださった。
そしてその晩、みなで食事を取り一通りの挨拶が終わると、一部の人間で町へ繰り出した。僕はお好み焼きの店へ連れて行っていただいた。一言では言い表せない美味さだった!どうやら広島焼きの場合、そばよりうどんを入れるのが通らしい。知らなかったよ。泥酔してふらふらしながらホテルへ帰り、眠る。
翌朝、目を覚ますとチェックアウトの時間が近い。すぐさまシャワーを浴びて服をつけると荷物を持って舞台があるフロアへ移動した。扉をあけると、暗い宴会場に整然と並べられた客席。そしてスポットの中にはとよた真帆さん、吉川晃司さんがいた。吉川さんは喉の調子が今ひとつらしく、セリフ回しに苦労していたようだ。織田哲郎さん、奈良敏博さん、斎藤ネコさんの楽隊はそれぞれに音を確かめている。その間も客席真ん中に陣取った大木プロデューサーからスタッフに向けて檄が飛ぶ。照明の位置やSE(音響効果)のタイミングなど、コンマ1ミリ、コンマ1秒のずれも見逃さず、修正が加わる。役者も楽隊もスタッフも大木さんの要求に自らの持ち場を調整しながら、どんどんテンションが高ぶっていくのがわかる。本番できっとピークを迎えるのだろう。僕は緊張感に耐えきれなくなって外のロビーへ出た。明るい。トイレに行ってからなにげなくロビーにおいてあるグランドピアノを見ると吉川晃司さんが座っている。他に誰もいないロビーでピアノを奏でながら、優作さんの歌を口ずさんでいる。調整しているのだ。太陽光線で空気中のチリが輝く。光の中でみるグランドピアノとシンガー。それは一枚の絵のように美しい光景だった。ただひたすらに浸った。
それからしばらくしてNHKのクルーが取材に駆けつけた。「ラストデイズ」という、香川照之さんが松田優作を追いかけるという趣旨のNHKの特番の撮影である。当然香川さんも来られた。香川さんを初めて拝見したが、美由紀さんに取材をするととんぼ帰りで東京へ帰って行かれた。ものすごいお忙しい方なのだろうに、わざわざ広島まで来てしかも公演をみる時間もなく帰京。なんて律儀な方なんだろう。と改めて優作さんへの愛を感じた。ちなみに放送されたこの番組は素晴らしかったが、インタビューに応える美由紀さんの後ろでピアノを奏でているのは吉川さんなのである。
開演時間。客席は満席である。昨年青山で見たときと同じ、薄暗いバーに男が入ってくる。吉川晃司だ。優作が語った言葉、台詞を一文字も校正することなくそのまま綴るだけなのに、そこに異空間が生じる。女が入ってくる。胸の大きく開いた黒いドレスに身を包む女・とよた真帆。舞台そでに掛かった大柄なトレンチコートとハット。いまは不在のその持ち主に向かって語りかける女。「彼、川向こうにいるからね・・・」そして楽隊が突然奏でる悲しいメロディ。
終了。キャストに混ざって松田美由紀さんが登場。あきらかに涙を流していたのだろう。頬がうっすら赤い。客席にメッセージを送る。吉川さんはじめ、キャストも挨拶。拍手喝采が巻き起こり、キャストは袖に消えた。素晴らしかった。青山で見た時も感じたが、映画でも普通の舞台でもない、新しいジャンルの作品だけに、人に説明するのが難しい。またビデオでみてもこの感動は伝わらない。是非もう一度上演してもらい、皆様にもみてもらいたいです。この日、本当は午後のもう一公演も見たかったがさすがにそうするともう帰れない。明日は仕事があるので今夜中に東京に戻る必要があった。皆さんにお別れを告げ、偶然にも同じ時刻に帰る予定だった丸山さんと一緒に広島駅までタクシーに乗り、そこから空港までリムジンバスに乗った。道中もそして空港に着いてからも飛行機待ちの時間はずっと優作さんの話を聞かせて頂いた。忘れてはいけない。いなくなったわけじゃなく、いつでもいるんだからさぼることは許されないんだな、と思った。
広島を飛び立つ。軽い疲労感と深い満足感と優作さんにお会いできたかのような興奮が身体には残った。
そして年末、広島で追いかけた御大は代々木にいた。「KIKKAWA KOJI LIVE 2010 Winter Groove」に参戦。閉じた貝のような空間でのっけから「HEROIC Rendezvous」「パンドーラ」「TARZAN」で飛ばしまくりの御大に驚いた。こんなペースでもつのかしら?w。しかししっかりと「Shadow Beat」「in a sentimental mood」「サイレントムーンにつつまれて」など懐かしい曲もいれてくれて昔からのファンはにっこり。COMPLEX時代の曲は「MAJESTIC BABY」「IMAGINE HEROES」をやってくれた。
途中、アフリカでロケしたサバイバル番組がお釈迦になってしまった話や、仮面ライダーの話などしてくれた。会場から「HEART∞BREAKERは!?」の問いに対して「あれは大黒摩季が元気に帰ってくるまでやらない」と、深い優しさを見せてくれた。
アンコールで歌ってくれた「Nobody's Perfect」では背景に仮面ライダーの映像も使用。さらに、最後にボーナスでもう一曲、超速度の「The Gundogs」で締めくくり、終了。途中、はじけた風船の中にひとつだけ当たりがあって、御大のキックで破壊されたシンバルにサインがついてもらえるのだそうだ。羨ましいがそれ以上のものをもらった気がして帰ってきた。そういや、会場には仮面ライダースカルや鳴海荘一に扮した方々がいて微笑ましかった。ご苦労さん。
そんなわけでライブで終了した昨年の御大活動なんですが、個人的にはユーストに出演させて頂いたりと、年末は濃かった。また今年もまったりと頑張ります。
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