#2「2つ目の予兆」


 頭の奥で電子音が鳴っている。「うるさい、誰かとめてくれ」と心で叫んだ。何度目かの格闘の後、ついに目を開けるとビジネスホテルの朝だった。そうだ。私は雑誌の仕事で大阪に来ていたのだ。大阪でアパレル関係の店を開店させた若い経営者へのインタビューを記事にするのだ。大阪は水が合わないのでこの仕事には乗り気ではなかったが、これも生活のためだ。(生活と言っても、犬と2人くらしのせまいアパートと、オンボロのポルシェ911を維持するだけの生活だが。)「いや・・違う」そう口に出した。この仕事に乗り気がしなかったのは水が合わないせいではない。確かに大阪の水は、水道局のたゆまぬ努力にも関わらず淀川の臭いがとれない。ラーメン屋に入れば水もスープも臭う。ホテルではバスタブに溜めたお湯が臭った。「大阪の人は慣れているのだろうか?それとも俺が泊まったホテルや食べた飲食店だけの話なのだろうか?」。何にせよこの「水」が私の大阪行きを躊躇させた訳ではなかった。理由は他にあった。
予兆  端的に言えば1ヶ月前にインタビューした民川裕司の最後の言葉が引っかかっていたからだ。民川は確かに「シジャノデンセツ」と言った。そして逃げるように街に消えた後、不思議な電話が私にかかってきたのだ。番号が通知されない女性からの電話。これではルポライターの私ではなくても気にならない筈がない。ところがあの電話から一ヶ月の間、私は溜まっている原稿のまとめや、過去に書いたルポルタージュの公正で多忙を極めた。そして、やっと全てが片づいたところにこの大阪行きの仕事が飛び込んできたのだ。これが、昔世話になった知り合いからの仕事でなければ間違いなく断っていただろう。とにかく心を東京に、いや民川に残したまま、私は最終の新幹線で大阪に付き、ホテルにチェックインするとそのまま泥の眠りに落ちていたのだった。

 道頓堀にある若者向けの店舗で、オーナーにインタビューをすることで午前中は全て費やしてしまった。オーナーから高級ホテルでの昼食の誘いを受けたが丁重に断った。自分より遥かに若い経営者に嫌気がさしたわけではない。一刻も早く東京に帰りたかった。私は新大阪駅に向かった。ふと地下街を歩いているときに本屋の前で足が止まった。平積みにされた音楽雑誌の表紙に「民川裕司」の名前があったからだ。何気なく手に取ると中身も見ずにレジで代金を支払った。それから昼食のために駅弁と缶ビールを買うと、新幹線に飛び乗った。平日の昼間なので自由席はかなり空いている。車内では窓際の席につき、手早く駅弁をビールで胃に流し込むと、いつも通りノートパソコンを立ち上げた。さきほどのインタビューを一回目のルポにまとめるための準備作業だ。詳細な内容は、MDに録音したインタビュー内容を後で聞きながらまとめればいい。ところが。どういうわけか今日はキーボードを打つ気がしない。ノートパソコンの蓋を閉じると、さっき購入した音楽雑誌を開いてみた。雑誌には、名前の読み方も分からない、若手ロックグループのメンバー達がケバケバしい衣装とメイクでこちらを睨み付けていた。次のページには、ニコニコ笑う若い女性を2人の男が囲むように立っていた。ヴォーカルが女性、男性は演奏ということか。このような形態のバンドが今は多いらしい。似たような3人組のバンドが何ページかにわたり紹介されていたが、ページをめくる度に前のページに載っていた連中は記憶から消えていった。

 雑誌のかなり後半部分に、見慣れた民川裕司がモノクロ写真で現れた。横顔だ。数枚のモノクロ写真に重なるように民川のインタビュー記事が載せられている。どうやらインタビュアーは私と同様に「何故今役者なのか」、という問いかけに対する答えを求めているようだった。民川の答え方が、"いかにも煩わしい時に相手をあしらう"答え方になっているのが手に取るようにわかり、つい苦笑いをしてしまった。最後までインタビューを読みすすむうちに、ふと一枚の写真に目がとまった。民川のインタビューは都内のレコーディングスタジオで行われたらしい。せまいスタジオ内には複雑な機器が整然と並び、床にはギターケースやシールドが乱雑に投げ出されている。それらをかき分けるようにパイプ椅子があり、民川はそこに足を組んで座っていた。私の目がとまったのはイスの後方の床の上に、見慣れた民川のジュラルミン製のケースが写っていたからだった。何処へ行くにも彼が持ち歩くケースだが、そのケースの蓋は半開きになっており、中身が覗いている。そしてそこにはくすんだ橙色の布にくるまれた黒っぽい物体がその一部を覗かせている。写真のほとんどはずれにちょっとだけ、しかもかなり小さく写っているためにそれが何なのかを判別することは難しかった。材質は黒っぽい・・・・木?サイズは15cmほどか・・・。私の目にはそれはおよそスタジオにあるものには思えなかった。なぜならばそれは「仏像」に見えたからだ・・・・・・・。

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